気仙沼レポート
分娩予定の方達が、落ち着いているようだったので、いまがチャンスかな~と思い、助産院をスタッフに任せ、夫と2人で、気仙沼の編み手さんたちに会いに行ってきました。 久々、4時間ちかくののロンドライブ。 東京へ出張する時より、留守中の助産院が気がかりです。当の留守番チームのほうは、伊藤の心配をよそに、何事もなく平和な1日だったようです。
震災から9カ月たちました。あちこちで工事が始まってはいるものの、復興なんて、どこの話か?というくらい、津波の跡が生々しく、恐ろしい情景がそのままです。車の墓場のような場所が、そこかしこにありました。家があったのであろう場所に、土台だけが無残に並んでいます。
宮城県の災害対策課より支援物資を受け取り、積んでいきました。倉庫には、各国から集まった物資が山積みになっていました。食品は賞味期限が迫っているものも多く、仕分け作業にスピードが求められ、ボランティアの皆さんが、巡回してがんばっておられました。仮設住宅はとてもせまく、収納スペースがないので、一度に多くの物資は受け取れないのだそうです。いまだに、古着などが仮設住宅などに届くこともあり、置き場所に困る余剰品は回収してフィリピンなどへ送る手配をしているとの事でした。
被災地の方が欲しいものは、住宅・漁船・車・仕事・生きがい・・・。当座のモノではないというのが、よくわかりました。長い支援が必要です。
「あむあむおっぴ」を編んでくれた編み手さんたちには、11月分の制作費として、制作数に応じて、1万円~6万円程度の代金をお渡しすることができました。 編み手さんの多くは、仮設住宅に住まわれています。中には、「夫の位牌が最近、大島に流れ着いて、唯一それだけが戻ってきた財産だ・・。」と語る方もおられました。「半年前に夫を亡くし1人暮らしだったけど、かわいがってきたワンちゃんも津波でなくし。家も財産もなくし、茫然としていた。この毛糸のおっぱいプロジェクトと出会って、まだ生きていようかと思えるようになった。」と話して下さいました。「手を動かしていると、時間を忘れて、先の心配が少し薄れる。」とのことでした。
はりきって 沢山作ってくれるのは、いいのだけど、販路の拡大が課題です。 編み手に加わりたいという声もかかりますが、今のところ、現在編んでいただいている気仙沼の高齢女性のみに限り、編み手さんの追加募集は出来ていません。すべての作品を毛糸のおっぱいプロジェクトが買い上げているので、在庫が多くなりすぎるのも困るからです。楽しく編み物をしていただいて、きちんと制作費をお支払いできるようにするためにも、買っていただける方・売って下さる場所を探すのが、私たちの使命です。また、毛糸は冬限定の商品です。春以降の事業も考えておかなくては・・・と思います。
あたたかいお正月が迎えられますように。来年は良い年でありますように。