9.11.東北豪雨での被害復旧工事で、ご利用の皆様には、ご不便をおかけしております。
今回、助産院の窮状を見かねた仲間たちがクラウドファンディングの準備を進めてくださり、readyfor というサイトでの資金調達に挑戦することになりました。
12月25日か26日は公開予定です。
フェイスブックをしている方は、拡散にご協力ください。
写真は、9月11日の朝の様子です。 いまでは、すっかりきれいになっていますが、
この日の助産院は、一面泥の海の孤島のようでした。
助産院は、消防のボートで避難してきたご近所の方たちの避難所になりました。
赤い灯油のタンクにつかまって、泳いできた方もおられました。
あとから聞くと、300年この地で農業をなさっているというご近所さんにも、初めてのことだったそうです。
震災で壊れた排水路などのインフラ修復が追い付いていないことも、一因だったようです。
水害被災直後より、多くの方からお見舞いをいただいたり、支援物資をお届けいただいたり、どろどろになりながらの復旧作業に汗を流してくださった方も多数あり、これ以上ないというほどの手伝いを受けました。
正直なところ、その方たちへのお礼のお手紙さえ、書けていない状況で、また次なる支援要求を開始というのには、二の足を踏む気持ちもありました。でも、応援してくださいる皆様に背中を押され、readyfor を開くことにしました。
助産院は、3.11.の震災後、大規模改修を実施。そして今回、もっと 人が集まりやすい場所を目指して、大きなローンを組んで増築。それなのに、1回目の返済も開始しないうちに、9.11.水没し使用不可に。
「事業所ということもあり、災害保険や行政からの支援はほぼないに等しく、 自力再建しか道はありません。
たいていのことは、ど根性で乗り切る私ですが、さすがに、今回ばかりは凹みました。
車3台が、水没により廃車となりました。
資産価値ほぼゼロのふる~い車でしたけど、足がなくなって、とても困りました。
そんなとき、岩手のNPO子育てシップから、日産モコがプレセント。
大船渡の助産師が11万kmも家庭訪問して活躍したという由緒ある車です。
車って、もらえるんだ~と、びっくりポン。
おかげでまた、もう一回がんばってみるか~という気が起きました。
「いまどき 助産院なんてやってないで、お産がしたいなら、うちの病院で働いたら?ローンなんて心配しなくていいでしょ。」
と、勤務の助産師仲間からは、声がかかります。
たしかに、その通り。病院もいいケアをしようと頑張っている。病院なしには助産院は成り立たない。
そのとおりなんですけど、
私には、夢があります。
「地域で第2の実家となりたい。幸せなお産で世界を平和にしたい。お母さんが自信をもって楽しく子育てできる環境を作りたい。」
「助産師がイキイキと助産師らしい仕事のできる職場がほしい。子供をもつ女性が安心して活躍できる職場にしたい。」
とも子助産院自慢の、腕利きスタッフたちを、のびのび活躍させたい。
とも子助産院のスタッフは、みんな勉強熱心で情熱ある職人集団です。
生まれる前から、じっくりかかわる助産がしたいのです。
病院以外で出産する人は、日本でとうとう1%を切り、昨年は0.75%だったそうです。
「妊娠したら、病院へ」というのが、フツウですから、「助産師」も「助産院」も若い人は知りません。検索されません。
でも、産んでみてから、母乳や育児で困って検索しまくり、助産所へたどり着く・・・というパターン。
結婚年齢が高くなり、助産院を選んでくれそうな自然派の女性が、助産院のドアを開けたころには40代。
「おめでとう。助産院はお産以外をサポートするね。」と病院をお勧めせざる得ません。
助産院は、絶滅危惧種ならぬ、もはや限界集落かもしれません。
でも、もうすこし、ジタバタしてみたいのです。
もはや伝統芸の伝承者の気持ちです。
現代に合う形に組み替えながら、
日本の産婆魂を社会に残したい。
とも子助産院のお産に、共感してくださる方々、どうか、今一度、お力をお貸しください。
今回のクラウドファンディングreadyforでは、とも子助産院のエレベーターの修理費を調達したい計画です。
フェイスブックをしている方は、拡散にご協力ください。
公開すみましたら、またお知らせいたします。
とも子助産院 院長 助産師 伊藤朋子