仙台助産師会の会長を長くおつとめされた松木キネ先生のご葬儀に参列してきました。7月17日に永眠され、享年98歳だったそうです。
私も開業前に、数度、自宅出産に同行させていただき、いろいろの教えを受けました。大正生まれの現役産婆さんでした。どんなときも、静かにお茶のお手前のように、うつくしい所作でお産の介助をされる方でした。今では、骨盤位(逆子:さかご: 頭を上にしてお母さんのお腹に入っている赤ちゃん)は、帝王切開が通常となりつつありますが、当時の産婆は、逆子の介助ができるのは当然で、キネ先生は逆子をなおす外回転術も得意でおられました。この技の伝承が途絶えるのは、とても悲しいと思い、取材させていただいたこともありました。(日本助産師会の機関紙上で発表させていただきました。)いまでは、お医者さんでもできる方が少なくなった技術です。
私の助産師仲間にも、松木先生にわが子を自宅で取り上げていただいた者が何人もおります。6600人以上の赤ちゃんを取り上げ、戦中戦後の混乱のなかから、女性たちをすっと支え続けてきたかたです。仙台空襲の日のお産の話や、「外国の方は、おおきな赤ちゃんをお産みになるのよ。このまえの方は、5100g!」と、かわいらしい余裕の笑顔でにっこり。マンションのリビングにビニールプールを入れての水中出産も見せていただきました。
当時のたたきあげの産婆さんたちと、看護師免許に+助産師教育たった1年という、現代の助産師たちとは、全く迫力が違います。
腰の曲がった小さな人でしたが、10年以上前から携帯電話を使いこなし、誰よりも歩くスピードは速く、そして盆踊り大会のアイドルでした。毎年の母性衛生学会の最後には、いつもすっくと挙手され、「おかげさまにて助産師を70余年させていただいております。先生方には、いつもお世話になっております。この場でお礼を申し上げます。」と深々り頭を下げる。えらいお医者さんがいっぱいおいでになっていて、手をあげることもおじけずいてしまうような場なのですが、伝えなくてはいけないことは、ちゃんと伝える・・その姿にも毎年感動していました。
ある時、取り上げたお子さんが病気で亡くなってしまたことがありました。お焼香に同席させていただいたとき、キネ先生は、持参したお経を読み、ご家族の悲しみに寄り添っておられました。
他人に尽くした人生でした。その分、自分やご家族に厳しい方だったことは推察されます。
「お産に向かうタクシーの運転手さんが、『俺も松木さんって産婆さんに取り上げてもらったんだ』というのよ~」とうれしそうにお話していたのは、昨日のようです。キネ先生の思い出は、いくらでも尽きることなく湧いてきます。
キネ先生、先生の域には到底及びませんが、自然なお産と産婆の心を伝えていきたいと思います。お空で上で見守っていてくださいね。
ご冥福をお祈りします。