毛糸のおっぱいプロジェクト「あむあむおっぴ」の編み手さん達に会いにいってきました。
仙台から一関経由で2時間半、前回もおじゃました復興屋台村でお昼を食べました。
土曜日なので石澤家族プラス新スタッフの伊東さん一行です。
ほやボーヤがかわいすぎて、グッズを買いあさる母の姿がありました。
海の宝石!いくらの季節です。お店は「大漁丸」さん。
「お子さんの分、サービスでふりかけご飯つけますよ。」
十分大人が満足するくらいの「いくらまぐろ丼」をサービスしていただきました!!!
こどもの人数分。なんとスペシャル!
屋台村の目の前は陥没した道路、たてものの土台だけ・・。
少し離れたところには800メートルも打ち上げられたという大型漁船。慰霊の花束がたむけられていました。
訪れたTさん宅、子ども達もかわいがってもらいながら、たくさん話をしました。
日本舞踊の先生だったMさん、「着物もかつらも何もかも流されて・・・。なんにもなくなっちゃった・・・。ぼーっとして過ごしていたんだけど。布団をくださる方がいる。お茶碗くださる方がいる。
こうして、生きてるのよね。不思議。生かされてるなあって・・・。こんな気持ちになったことなかった。80年生きてて。不思議だなあって。」
今は週1回お弟子さん達と踊る機会もあり、夏にお会いしたときよりも元気になられたように見えました。
最近、仮設住宅から引っ越されたSさん。
「狭いからお父さんと足ぶつかりあいながら寝てたのに、やっと離れて寝られるわ(笑)」
「仮設でるときに、コタツと消火器とヒーターは、仮設の備品だから返してくれって言うのよ。」
集団移転の話もH27年の予定で、高齢者には先行きが不安そのもの。
新しく娘や孫ができたみたいだわ。と言ってくださるおばあちゃんたちのためにも、微力ながらプロジェクトを盛り上げていきたいと思います。
帰りは45号線を南下して三陸道を通ってきました。
南三陸、歌津のあたり。道路の両脇が浸水していて、悲惨な光景が未だそのままに。
もくもくと瓦礫を片付けている工事の作業員さん、周りに何もなくなってしまった近所のコンビニ仮設店舗の店員さん、色々なお仕事をされてる方達がいて、生活がなりたつのだなあとあらためて感じました。
震災から1年8ヶ月。まだまだこれからです。
自分のできることを、できるだけ、やってみようと思います。
(石澤記)